和歌山県南紀熊野のトリビア!さほど重要でもないローカルな話題から、国際的?な話、へ〜と言えるお話しがあるかも知れません。

日本初の黒船来航は、浦賀ではなく串本町樫野埼であった!

 


 米国のペルリ提督が黒船で浦賀沖に来航した日をさかのぼること60年余り前、寛政3年3月24日(旧暦)夕方、突如現れた2隻の蛮船に、樫野浦の住民は驚き、慌てふためいた。潮だまりに投錨した船からは小型の船が降ろされ、磯周りを廻りながら水を補給したり鉄砲で鳶を撃ち落とした。(日本側資料)中国にラッコなどの毛皮を交易しようと出かけたが不成立になり、帰還途中に立ち寄った日本であったが、毛皮の使用法を知らなかった住民とは、やはり交易が成立しなかった。この日、日本は、初めて星条旗を見ることとなり、以来、日本と米国との関係が続くこととなる。




 米国文献
 1791年、ボストン船籍の「レディ・ワシントン号」(ケンドリック船長)がニューヨーク船籍「グレイス号」(ダグラス船長)とともに中国からの帰路、ラッコの毛皮を交易しようと南日本の港に入港した。この時日本は初めて米国旗を見た。しかし住民は、毛皮の使用方法を知らなかったので商売にはならなかった。(マサチューセッツ海事史)
 


 日本側文献

 寛政3年3月26日夕、南海道紀伊国大嶋浦へ蛮船2隻漂着、右大嶋浦は口熊野の内也、..中略..小舟をおろし魁主は赤将束緋羅紗の由十四五人端船にて磯部乗廻り、小鳥銃にて鳶鳥を十五六打申候..中略..この後大嶋の水有之所にて水を取申候、水源より木綿桶にて端船へ水を招きやり候由、漁船を招き一怪書を贈り申候、本船主紅毛有之候得共、紅毛とは不相見へ、ムスコヒヤヲロシヤの類と相見へ、横文字を有之候、去年本船はアメリカ記し置書面と一様不相見へ候..(国立公文書館「外国通覧」)
 寄港地は、現在の雷公の浜(ナルカミ)とされています。「水有之所にて..」とあるのは、雷公神社脇を流れる小川と思われます。この付近は、紀伊風土記などによると、古くから集落があったようで、当然の事ながら当時も集落があり、この人々が最初の交流の当事者になります。

 この時、漢文の書簡の他にオランダ語の書簡も手渡したようで、後の報告書に「蛮船二隻は亜蘭蛇、..」と誤解してしまい、近年米国の資料が見つかるまで、ペルリの浦賀来航が日本で最初と言われることとなります。
 
  

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