紀伊半島南部に伝わる祭りと獅子舞についての一考察...

 
田辺市万呂地区、「須佐神社」の例祭
 
●須佐神社(すさじんじゃ)
田辺市中万呂5番地
祭神は、「須佐之男命(すさのおのみこと)」「櫛稲田比売命(くしなだひめのみこと)」ほか
古くから、下万呂、中万呂、上万呂三ヶ村の鎮守で旧社名は「牛頭天王社」と言い、古い歴史を持った神社です。
例祭は、11月22〜23日で、獅子舞は2日前から氏子の「家祓い」(地下舞わし)を行っている。

22日の宵宮祭に続き、翌23日は、町内の祓いをしながら御宿まで渡御を行い、「御宿祭」の後、塩ふりを先頭に、太鼓を打ちならしながら神社へと還幸となる。紅白の紐で繋がれた二頭の獅子舞も還幸の後尾に付き、笛太鼓に囃されながら、天狗お多福と戯れ合いながら道中を進むます。現在は、一旦休憩後、農協前より再び子供御輿を先頭に獅子舞の道中が神社へと入ります。
この「道中と呼ばれる獅子舞」は、日高地方を中心に古くから存在した獅子舞ではなかろうかと推測します。その後、舞系の獅子舞が伝わり、お互いが融合して現在まで伝わっているのではないでしょうか。
※近辺の中辺路街道筋にも、400年以上の歴史がある獅子舞も存在し、これもやはり、舞獅子の他に道中獅子が存在します。
 

田辺市万呂地区の獅子舞
 
万呂の獅子舞は、「安永4年(西暦1775年)九月九日、獅子舞奉納」と記された文書が存在する事から、少なくともこの年には既に獅子舞が奉納されていたことになります。
獅子舞は、「道中」「弊の舞」「寝獅子」「うかれ獅子花の舞」「剣の舞」の五つに大別されます。
屋台は、「流れ造り」で、締め太鼓は左付けですが、奉納する方向で使い分けるのか、境内では左右両方に取り付けていました。
 
午後から始まる宮入では、農協前を出発し、神社鳥居前へと進んできますが鳥居前では一段と華やかに勇ましく舞練ります。
宮入の笛太鼓を合図に、二頭の獅子は石段を駆け上るように進み宮入りします。神社に上がった獅子舞は、本殿に「弊の舞」「寝獅子」「うかれ獅子花の舞」を奉納します。
本殿前が終了すると、獅子舞を2頭出し、左右の「小社」にそれぞれ別れて同時に「弊の舞」「寝獅子」「うかれ獅子花の舞」を奉納します。
 

 小社への奉納が終了すると、本殿左手にある「社務所」前に進み、宮司着席の前で、「弊の舞」「寝獅子」「うかれ獅子花の舞」続いて「剣の舞」を奉納します。
この「剣の舞」は、神殿の前で剣を抜くのはおそれ多いと言うことで、社務所前でしか奉納しません。
また、剣を二本だし、一本は獅子がもう一本は天狗が持ち、刃と刃を交わしながら、立ち回りを行います。(一部古座系の獅子舞で言う「チャリン」に酷似しています。) 

 当社の獅子舞は、田辺市の無形文化財に指定されており、特にお多福が70cmもある、陽物を脇にかかえ込み中腰になって腰を振りながら踊り招く姿は微笑ましく、観衆を湧かせます。
 この舞を猥褻と見るか否かは別として、古くから日本全国に男女の象徴を用いた踊りなどが沢山存在しますが、豊年満作、子孫繁栄を祈願するもので、特に農耕地帯に多く見られます。
 また、最後に社務所前で、二頭の獅子が「継獅子」で屋根の軒先に噛みつくことで終了します。

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